能 「杜若 澤辺之舞」

2011年6月8日 東京能楽囃子科協議会定式能 国立能楽堂

シテ 武田孝史 ワキ 宝生閑
太鼓 三島源太郎 大鼓 国川純 小鼓 幸清次郎 笛 一噌庸二

 笛の稽古をしてもらった「澤辺之舞」が出るということで出かけてきた。
 小書「澤辺之舞」になると常の場合は太鼓入り序ノ舞が破掛り序ノ舞となり、曲節もかなり異なる。稽古の時には舞の中の緩急を会得するのが難しいと感じた。
 今回は舞の中の緩急が舞にどのような効果を生むのか、もしくはシテのどのような仕草を囃子が助演するのかを確かめたく観客席にいた。

 能「杜若」は、伊勢物語にある在原業平が訪れた三河の国八橋が舞台になる。
 東国へ下る僧が三河八橋を通った際、岸辺に咲く杜若を眺めていた。そこへ若い女性が現れ、業平が昔”かきつばた”の五文字を句の上に置いて読んだ歌のことを僧に物語る。女性は僧を自分の庵に案内し、そこで冠唐衣を着して現れ、真は杜若の精と明かす。杜若の精は業平は歌舞の菩薩としてこの世に現れた物であるとして伊勢物語について業平のことを物語る。杜若の精は業平を思い舞っていたが、やがて夜が明けると共に悟りを得消え失せていった。

 序ノ舞、この場合は「澤辺之舞」は、伊勢物語を語った後に旅人(ワキ)に”疑はせ給ふな旅人、はるばる来ぬる唐衣、着つつや舞を奏づらむ”と語りかけて舞われる。
 澤辺之舞は破掛であるので位は常の序ノ舞より軽めに入る。
 初段ヲロシの後位がシマリ、シテが橋掛に行く。二ノ松で静かに欄干を見込む。その直後位が進み、シテは面を上げる。再び位がシマリ、徐々に早くなる囃子に乗ってシテは舞台に戻ってくる。
 この場面は澤辺之舞の随一の見所であろう。ここはいろいろと想像させられる。
 シテは欄干の下に何を見たのであろうか。澤辺に咲く杜若であることは容易に想像出来る。そして何にハッとして(小生にはそう思えた。)面を上げたのだろう。咲き誇るカキツバタの美しさだろうか。業平に詠まれたことが思い起こされ喜びの感情が湧き出たのであろうか。はたまた、澤辺の水面に映る我姿に業平への思いが呼び戻されたのであろうか。
 澤辺之舞は緩急のある舞である。シテの舞は緩急に沿ってユルミ、ススム。型所(この場合は欄干を見込む)を決めた後に位がススムことでの場面転換。やはり効果的であった。

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