能「清経 音取」

2010年11月15日 国立能楽堂
シテ(清経) 友枝昭世 ツレ(清経の妻) 長島茂 ワキ(淡津三郎) 宝生閑
大 亀井忠雄 小 幸清次郎 笛 藤田朝太郎

 笛方一噌流の名手故藤田大五郎師の三回忌追善会の最後に演じられた。名手を追善する気持ちが舞台だけでなく、見所をも満たした一番だった。

 「音取」(流儀によっては「恋之音取」とも)の小書きでは、シテは笛の吹く音取に合わせて橋掛りから舞台へと登場する。(常は地謡の間に登場する。)シテは、笛の間は歩み、止むと留まる。この笛一管によるシテの登場が小書「音取」の最大の見せ場である。笛方にとって重い習いとなっている。

 平重盛の三男、左中将平清経は平家の将来をはかなみ、豊前国柳ヶ浦で入水してしまった。家臣淡津三郎は遺髪を清経の妻に届け、最後の有様を語って聞かせた。形見の黒髪を見て悲嘆に暮れる妻の夢中に、清経が武者姿で現れた。清経は都を落ちた平家一門が筑紫での戦いにも敗れ、願をかけた宇佐八幡宮からも見放されたいきさつを語った。清経は月明かりに船を出し、横笛を吹き、今様を謡い、過ぎ去ったこと、これからのことを考え、西方浄土に行かんと入水したのであると語る。そして死後、修羅道に落ちた苦しみを述べ、しかし今は最後に唱えた念仏により成仏すると述べ、また夢中に姿を消した。

 「音取」におけるシテの登場の演じ方は三種あるそうである。(1)笛が奏される間は留まって聞き、笛の音が止むと歩む。(2)笛の間は歩み、止むと留まる。(3)笛の途中から歩き出し、笛が止んでしばらくして留まる。これは清経の霊が笛に導かれて出てくるのか、自分で笛を吹きながら出てくるのかという解釈の差によると言うことである。
 今回の舞台は、笛の間に進み、止むと留まるという演出で、シテが笛の音に誘われるように舞台を進む感じがした。
 「音取」の際、笛方は笛座から地謡座の前にいざり出て幕に向かって座り直して吹く。シテと相対する形となる。笛を吹かない間は笛を膝に立て静にシテとの間合いを計る。シテの気が満ちたと見るや静に笛を構え吹き始める。それが数回繰り返された。留まっている間、シテと笛方の気合いが舞台の上で静に交錯する。

 「音取」が笛方にとって重い習いであるが、それはシテとの高度な間合いの取り方や場所を移動して演奏するという秘事にあるのではない。今回、初めて「音取」を聞いてその本質が「笛の音(ね)」の美しさを要求していることにあると感じた。
 清経は笛の名手であったと伝えられている。その霊を笛の音で迎え入れる。その時吹かれる音は、清経の時代の美しい音でなければならないのでは。能管は清経の時代の笛とは違う。だが、能管で限りなく近く再現する。そこに「音取」の本質があるのではないかと感じた。

 というようなことを確かめたく、後日笛の師匠にお話を伺った。
 まず第一に言われたのは、「音取」とは待っている間にあるということであった。笛の音が止み、シテが動きを止める。その間が「音取」であるということだ。
 笛はシテが動き出すのを見て吹き出すのではない。シテは笛が吹き出すのを聞いて歩を進めるということではない。シテと笛方との間で間合いを計る”間”が「音取」の本質である。ということであった。
 笛の音については、見所の一番後ろまで聞こえるように力を込めて吹いたとのことであった。

 では、当日私たちが聞いた美しい笛の音はどこから引き出されたのだろうか。その本当の理由は笛の奥義として代々伝えられた来たもののの中にしか見いだせないのであろう、というのが私の結論である。

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