発表会の稽古  「高砂 八段」

 まず、「高砂 八段」から。
 「高砂 八段」は、カカリ、初段、二段・・・、そして留の段が七段の八つの段があることから「八段」と命名されています。カカリは常の通り、初段はオロシなしで途中から緩める部分が少し特殊で元の位に直ったところで段。二段、三段、四段は同じ譜を吹きます。途中でシマリ、元の位に直って段になります。これらの段もオロシはありません。五段、六段もオロシはなく、段の後地を吹きますが地の回数が異なります。七段はヲヒャリヤリを入れた常の留めの段と同じです。
 基本的に地を繰り返しているだけなので、何段目を吹いているのか迷いそうです。サインは五段目です。五段に太鼓が手を打ちます。そこで二段から四段の三回の繰り返しが終わったことを確認できます。
 「高砂 八段」の稽古の最初のポイントは、神舞の位で吹いていてシマル(ゆっくりになる)ところ、そして元の急の位の戻るところです。神舞の位はすごく速いですから、ブレーキのかけ具合を体得しないといけません。シマルところは太鼓がハネという手を打ってきます。太鼓の「ヤ、ハ」の掛け声を聞いてとシマリます。急の位に戻るところは、他の囃子に遅れないことが肝要です。
 稽古の二番目のポイントは、曲の中に序破急の心持ちを出すことです。例えば、二段、三段、四段は同じ譜を吹きます。同じようにシマリ、同じように元の位に戻ります。この三つの段の吹きように心持ちが必要です。
 この序破急の心持ちは、能の演出を構成する基本原理です。能も前段(序)、中段(破)、後段(急)と進みます。舞も、カカリから留まで序、破、急の構成になっています。わかりやすく説明すると、吹きはじめのカカリから最後の留に向かって少しずつ演奏の速さが速くなっていきます。演奏の速さが常に速くなっていくというのは、演奏の平板化が避けられ、終わりに向かってそれまでこらえていたエネルギーの放出を無理なく演出できる優れた演奏法であろうと思います。西洋楽曲の演奏に見られるメトロノームに縛られた演奏では得られない効果を表します。(演奏速度がだんだん速くなるというのは、西洋楽曲しかやらない人は知らないようで、この点面白いと感じる人もいるようです。)
 三番目のポイントは、演奏の位です。”位”というのは、単純には速さのことです。「高砂八段」は神舞ですから、神舞の位で吹きます。ですが、八段ありますから上にいったような徐々に速くなる原理を適用すると、最後の速さはとてつもない速さになってしまいます。節度を持った速さと神舞の特に「高砂」の位をバランスさせる必要があります。
 実のところ、「高砂 八段」を稽古するまで、私は神舞を吹くのを苦手としていました。速くは吹けますが、神舞の清々しい強さというのがどうもよくわかりませんでした。神舞と男舞、速さが少し違うだけで区別ができませんでした。(ちなみに男舞は荒々しい強さです。)
 数ヶ月に及ぶ稽古で、毎回先生の前で八段を吹き続けたことで”神舞”というものが体得できたように思いました。なんとなく私の中では”神舞”と”男舞”の区別はできたように思います。
 さて、本番での「高砂 八段」について。本番では、初段のシマルところで太鼓と少しずれてしまいました。稽古の時よりシマリ方が緩かったためです。最初のシマリ方を聞いて、後の方は修正して吹きました。こういうのは本来、申合(リハーサルのことです)で修正します。が、この笛の会は申合なしのぶっつけ本番ですから、舞台に出てからも修正が必要です。速さは吹いているときは本人はそんなに意識はしなかったのですが、かなり速かったようです。ただし、出端のヒシギが出なかったのは残念でした。(直前のお調べでは出ていたのに。)
 「高砂 八段」の稽古を通じて、”神舞”の体得と曲の中での緩急のつけ方を体得できたのではないかと思います。


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