0泊2日ジョホールバルの旅

この手記は97.11.25に友人向けに公開したものに、大幅に加筆訂正を施したものです。コラムとは若干趣きが違い、観戦記の体裁を取っています。

1997年11月8日土曜日 午後10時

 ワールドカップアジア地区最終予選最終戦、国立競技場でカザフスタンを撃破した夜、私達は青山の中華料理店で祝杯を挙げていました。テーブルを囲んでいるのは、それまでの国立での4試合とソウルでの韓国戦を共に観戦した同僚のOや友人のN達。同僚のOが、勝利の余韻に興奮した顔で話しかけてきました。
「俺、こうなったら絶対マレーシア行きますから!一緒に行きましょうよ。」
 しかし、第3代表決定戦は16日日曜日の夜。前の晩に仕事関係の宴会がある私には、マレーシア行きは到底無理。俺たちの分まで頑張ってこいよ、と言うしかありませんでした。
 そう、この時点では、まさか自分がジョホールバルで歓喜の涙を流せることになろうとは思っていなかったのです。正直な話、あきらめていたのです。

1997年11月14日金曜日 午前11時

 電車に乗っていると携帯電話が鳴りました。取ってみると会社から。JTB虎ノ門支店からの電話が来てキャンセルが出たので至急連絡が欲しいとの伝言です。あわてて次の駅で電車を降りて電話をかけました。数日前に、16日朝出発17日午後帰着という過酷なツアーが発表されていたのですが、タッチの差でキャパから漏れてしまっていました。定員40名でこのタイミングでの募集。まさかキャンセルなんて出ないだろうとは思っていましたが、自分を納得させるためにキャンセル待ちをかけていたのです。しかししかし、まさか2日前になってキャンセルが出て行けることになろうとは。詳細を聞いて、FAXで旅程表を貰うことにして電話を切りました。よし!あさってだ!行けるとわかったら、身体から活力が湧いてくるのを感じていました。

1997年11月16日日曜日 午前3時45分

 ピピピ・・という目覚まし時計の音と共に運命の日が始まりました。ワールドカップアジア地区第3代表決定戦の朝です。そそくさと顔を洗って、ソウルでの韓国戦、国立でのカザフ戦と同じ下着、同じ靴下、代表ブルーのTシャツ、白いシャツ、そして、胸にRoad To Franceと書かれた代表ブルーのトレーナーを着込みます。すべては先週の土曜日と同じ。この際、担げる縁起はなんでも担いでしまいます。日本に居る八百万(やおよろず)の神よ。どうか私の願いを叶えておくれ。いや、私だけではない、世界中の日本代表サポーターの願いを叶えておくれ。
 家の玄関を出て、まだ夜明けにはしばらく間がある真っ暗な空へと祈りを捧げ、妻の運転する車で浦和駅へと向かいました。人気もまばらなホームに、静かに京浜東北線の始発電車が滑り込みます。午前4時39分、私は羽田を目指し車中の人となりました。

1997年11月16日日曜日 午前6時

 羽田空港の国内線ロビーはすでに青い人達がたくさん集まっていました。JTB虎ノ門支店サッカーデスクのテーブルで受付を済ませます。キャンセル待ち、それもぎりぎりでの参加ですから名簿の順番も一番最後。表記も、他の人は漢字とローマ字のワープロ打ちなのに、私だけローマ字のみでしかも手書き。担当だったI氏に最後まで粘ったお礼を言うと「行けない私達の分まで頑張ってきてください」と言われます。そうだ、行ける私達は幸運なのだ。私達のバックには行きたくてもいけない多くのサポーターがいるんだ。頑張らねば。改めて実感しました。
 出発までの短い時間に売店でスポーツ新聞を買い漁ります。昨日発で先に飛んでいる仲間たちに、ジョホールバルで合流したあと読んでもらうためです。読み終わったらジョホールバルの夜空に舞う紙吹雪となってくれることでしょう。がさがさと大量の新聞を小脇に抱え、関西国際空港行ANA臨時便に搭乗します。機内では、同じツアーに参加したKさんなどと話をしました。Kさんはグランパスサポーター。名古屋から羽田6時集合のために夜行電車で来たとのこと。0泊3日ですよと笑っています。そのお隣は、なんと同じ浦和市在住のTさん。もちろんレッズサポーター。岡野出ますかねぇなんて話をしていると、あっと言う間に飛行機は関空に着陸しました。

1997年11月16日日曜日 午前10時

 関空で月曜日の仕事用の着替えと荷物を手荷物預かり所に預け、出国手続きの列に並びます。空港使用料が2650円?えっれ〜高けえぞ。ちょっとボリすぎとちゃう?なんて偽関西弁でぶつぶつ言いながら手続きを滞りなく済ませ、ゲートへと向います。飛行機はANAの臨時便、定員260人くらいのB767-300。東京から行った私達のツアー以外に、千歳から来たツアーや大阪発のツアーの人が一緒に搭乗しました。
 このANAの臨時便が、巷でウワサのサポーター専用チャーター機でした。空港の搭乗ゲートでテレビ局のスタッフがカメラを回しています。その前を、みんなガッツポーズやらVサインやらをしながら通りすぎていきます。タラップでは、ブルーの生地の胸にFrance98と書かれた、揃いのトレーナーを着たスチュワーデスのお姉さんたちが、満面の笑顔で出迎えてくれます。程なく無事離陸して水平飛行に。やがて機内食の時間です。デザートのチョコレートケーキには、鮮やかな文字で「Road to France」。やってくれるぜANA。食事とビール、ワイン(もちろんフランスワイン)などを楽しんで、スチュワーデスさん達とお約束の記念撮影などをして、映画を見ながらうつらうつらしていると、もう、シンガポールのチャンギ空港への着陸態勢です。高度を下げていくにしたがって、激しく揺れる機体。気流が悪いとの機内アナウンスがあり、外を見ると一面の雲。水滴が窓の外を流れていきます。ちょうどスコールの時に着いてしまったようで、機体を左右に振られながらも無事着陸。機内から期せずして拍手が湧きます。いよいよシンガポール上陸です。

 

 

1997年11月16日日曜日 午後4時

 スチュワーデスさん達の「頑張ってきてください」という声に送られて機外に出ると、もわぁ〜っとした蒸し暑さです。凄い湿気で眼鏡がたちまち曇ってしまいます。熱帯にやってきたんだ、という実感が湧いてきます。この温度と湿度。私達の代表はこの厳しい条件の中で闘うのです。スタミナは大丈夫なのか?スコールが降ったときの戦術は?時が近づくにつれ、選手達のコンディションやら闘い方やら、今夜の試合のことが頭の中に充満してきます。上に着ているものをバッグに押し込みTシャツ1枚になります。あの大勝した初戦のウズベク戦で着ていた代表ブルーのTシャツです。シンガポールの神様にもお願いしておきましょう。我らが代表にどうか幸運を。
 連絡バスに乗って空港のビルへ。入国手続きの列に並んでいる背中がみんな青い。壮観です。手続きも無事に終わり外に出ようとすると、税関のお姉さんが何故か私だけを手招きしています。その袋は何だというわけです。その袋というのは、関空の免税店でタバコを買ったときに貰ったマイルドセブンの柄のビニール袋。中には、ぎっしりスポーツ新聞が入っています。そのお姉さん、凄くわかりやすい英語で「シンガポールにタバコを持ち込むときは1本でも課税されるよ。持っていませんか?パスポート見せて。かばんを開けて」といいます。実はデイパックの中にはそのとき買ったタバコが1カートン。あちゃー、まずいぞ、めんどくせーなー、などと思いつつ、素直にかばんを開ける私。で、そのお姉さん、タバコの箱を発見するとおもむろに、シンガポールは初めて?と聞きます。うなづく私。サッカーを見に来たんでしょ?とお姉さん。大きくうなづく私。ちょっと考えたあと、お姉さんはにっこり笑って「OK。この次来るときは気をつけてね。GoodLuck。早く行きなさい。」とおっしゃってくれました。おぉ、ラッキー!みなさんもシンガポールに行くときはくれぐれも気をつけましょう。ホントは見つかると3000ドルの罰金だそうです。

 さて、そんなこんなでロビーに出て、出迎えの変な日本語を駆使するガイドさんの案内で、現地通貨への両替もせずにバスに案内されます。おっと平気なんだろうか。日本円しか持っていないぞ。みやげも買えないじゃないか、などと思いつつバスは一路マレーシア国境のコーズウェイへ。ここの通過に最悪5時間くらいかかるなどと言われていましたから、キックオフに間に合わなかったらどうしようというみんなの心配をよそに、バスはすんなりとシンガポールの出国ゲートへ。拍子抜けするほど空いています。後から聞いた話では私達の通過した1時間くらい前が結構混んでいたようです。しかし今はがらがら。またバスに乗って今度はマレーシアの入国ゲートへ。ここも実にすんなりと通過して、あっと言う間にジョホールバルの街にはいりました。シンガポールの景色は、ゆとりある土地に中高層のビルが並び都会的な印象でしたが、一歩ジョホールバルに入ると緑が多くリゾート地の趣きです。モスクがあってイスラム教の墓地があって、なるほどイスラムの国なんだなぁと再認識。おっと、イスラムと言えばイラン。奴等に有利なんじゃないかと、あらぬ心配が頭をよぎります。

1997年11月16日日曜日 午後5時

 15分ほど走ると、店の看板にLARKINの文字が読めました。スタジアムが見えてきます。バスが駐車場に入るためにスタジアムを半周するんですが、我らが日本代表サポーターが幾重にもスタジアムの周りを取り巻いています。うお〜、こんなにいるの?!どうやらゲートが3つあってそれぞれに列になっているようなのですが、どこが最後尾なんだか見当もつきません。来る道すがらバスの中でガイドさんが「ツアーのみんなで一緒に見てください。」なんて言っていましたが、結局彼もこの凄い人波を見た瞬間あきらめたらしく、とにかくバスの場所をしっかり憶えてくださいね。などと言い始めます。バスを降りて、それでもどうにかバックスタンドの列の最後尾を発見、ツアーのみんなはその列に並びました。私はみんなから離れて、前日にシンガポール入りした仲間をさがしに出かけました。バックスタンドの列は難民収容所状態だし、日本側ゴール裏も列がどう繋がっているのかわからない。現地の係員を探しても、そんな人どこにもいません。でも、さすがは日本人。自発的にトラメガを持って列を整理する人がいたり、割り込み防止のためにビニールテープを張ったりするグループがいて、あの混乱したカザフ戦の国立青山門のようにならないようにという意識で行動しています。素晴らしいじゃないですか。

 

 つらつらと列を眺めて歩いていると、まず出会ったのは渋谷のIで知り合ったUさん二人組。バックスタンドのゲートの列でした。しばらく話をしていると開門されたようで、人々が動き始めます。しかし列は全然進みません。スタジアムを見上げるとすでに多くの人が入っている様子。もぎりに時間がかかっているのか、荷物チェックが厳しいのか。いらいらしつつふと目を凝らすとゴール裏の列が見えません。さっきまではたくさんの人が群れていたのに。どうやら向こうの列の方が早そうだぞということで、あわててゴール裏の列の最後尾を目指して移動します。するとその列の途中に、前日発で乗り込んでいた仲間の一団がいました。いやぁ待ち合わせなどしなくてもなんとか会えるもんですね。普段一緒に動いていると思考が似ているのでしょうか。彼らの列に加えてもらって、数分後には無事入場しました。しかし、ここでショックなことが起こります。入場時にチケットを破かれてしまったのです。簡単な印刷ですが、なかなかいいデザインのチケットだったのでがっかり。でも、転んでもタダでは起きません。ゲートの後ろに落ちていた中から、原型を留めているものをしっかりゲットしました。それにしても世紀の一戦のチケットです。スーベニアにしたいという感覚をわかってくれないもんですかねぇ。

 ゴール裏に入ってみると、すでにそこは凄い数の人で埋まっていました。スタンドのイメージは、そう、下段が平塚競技場のゴール裏。上段がミニサイズの国立という感じでしょうか。ここで先に入っていたSさんたちと合流し、Sさんが確保していた席を譲ってもらいました。その席と来たら・・・。ふだん国立では、ウルトラスが12番ゲートなら私達は14番のちょっと上の方と、やや距離を置いて確保するのですが、今回はなんとウルトラスのコアグループのすぐそば。ななめ前方には、おなじみの白い帽子の植田朝日くんがトラメガ片手にフェンスに登っています。2カ月間の最終予選で、最後の最後に、私も日本サポーターのど真ん中に立つことになりました。

 

1997年11月16日日曜日 午後7時

 そして、程なくしてニッポンコールが始まります。試合開始の2時間くらい前でしょうか。ドラえもんの大旗がひろげられ、ゆっくりと移動していきます。ゴール裏からバックスタンドへ。そして、アウェイのゴール裏へ。メインスタンドでは、ドラえもん旗の小型版が開かれています。何度もスタジアムを回る真っ青なウェーブ。打ち振られる無数の青いビニール袋。そして、テンションが上がってきて、おなじみウルトラスのWelcome to Blue Heavenの大旗が展開されます。この予選を通じて初めて、自分の頭上を遮るブルーの大旗。ここまでやってきたんだ、という感慨が胸をよぎります。
 いろいろなことがありました。指定席でのんびり観戦していた1次予選。大どんでん返しでホーム&アウェイが決まり、セット券をゲットした夏の日。初戦ウズベク戦の大勝。TVで手に汗握っていた灼熱のアウェイUAE戦。希望に溢れた呂比須の帰化。韓国DFをあざ笑うかのように見事な弧を描いて目の前のゴールネットを揺らした山口のループシュート、そしてまさかの逆転負け。中央アジアの連戦中に苦渋に満ちた表情で現場を去った加茂監督の姿。根拠のない絶望説を書きたてるマスコミ。列並びの国立青山門での真夜中の宴会。そんな中で親しくなっていった仲間たち。翼をくださいのメロディがデビューした国立のUAE戦。哀しい暴動のニュースが何度も何度もTVから流されました。ソウル・チャムシルのスタジアムで手にした貴重な勝利と、マフラーを交換した韓国の高校生サポーターとの友情。「国立大作戦2」と称して2万本の紙テープを投げたカザフ戦。紙テープを配り、投げ方を説明するために、トラメガ片手に何度もスタンドを登ったり降りたりしました。そのカザフを見事撃破して堂々の2位確定。そしてもうひとつ、昨日の悲しい出来事・・・。ニッポンコールを叫びながら、初夏から晩秋にかけての5カ月間のことが走馬灯のように頭をよぎります。
 アップのために選手がピッチに登場しました。川口、名良橋、井原、秋田、相馬、山口、名波、北澤、中田、中山、カズ、岡田監督、フラビオ、マリオの両コーチ。ひとりひとりの名前を呼びながらのコールが続きます。もちろんサブのメンバーも。楢崎、小村、中村、呂比須、城、岡野。FWが3人も登録されています。勝ちたい、という気持ちがひしひしと伝わってくるメンバーです。さあ、まもなくキックオフです。ゴール裏ではみんなが手をつなぎ、それを高々と掲げてニッポンコールが続きます。まさに勝利への祈りです。遠くジョホールバルまでやってきた数千のサポーター達。日本で世界中でTVにかじりつく数千万のサポーター達。すべての思いをここに。今、まさに笛が吹かれます。

続きを読む


・トップページに戻る