0泊2日ジョホールバルの旅


1997年11月16日日曜日 午後9時

 日本のキックオフ、中山のファーストタッチで試合が始まりました。ラインをあげてコンパクトな布陣で闘う両チーム。オフサイドの笛が何度となく吹かれます。ダエイと秋田の空中戦は見ごたえがあります。一進一退の攻防が続きます。日本がやや押し気味か。前半30分くらいからイラン選手のプレッシャーが弱くなったような感じです。行け!日本!前半も残りあと5分という頃、中田のスルーパスに反応した中山が持ち込んで、キーパーの動きを見て冷静に蹴り込んで日本先制!ゴール裏は歓喜の渦に包まれます。行けるぞ。大丈夫だ。みんなが叫びます。最高の時間に得点を得て慎重になったのか、ずるずるとDFラインが下がる日本。ラインをあげろ!怖がるな!ゴール裏から絶叫にも似た声が飛び交います。

 そして前半終了。ゴール裏のスタンドの汗まみれの顔はみんな先制点にほころんでいます。トリコロールの紙テープが配られ始めました。勝利の瞬間にゴール裏から赤白青の紙テープを投げ込んでフランス国旗を作ろうというアイデアです。しかし、指示が徹底されなかったのか、後半のキックオフでこの紙テープが何本となく投げ込まれてしまいました。後ろを振り向いて投げるのをやめろと言うサポーター達。後から聞いた話ではこの時投げ込んだのは日本語のわからない現地の人々だったということでした。この時、私達は確かに集中を切ってしまいました。それがいけなかったのでしょう。後半開始早々、アジジにあっさりと同点ゴールを決められてしまいます。こうなったらトリコロールどころの話ではありません。集中、集中。
 同点になってから、ゴール裏のフィールドにはフラビオに連れられ呂比須と城がアップにやってきます。さて、どの局面でどちらを投入するのか。そんなことを考えていると、あ、危ない!ダエイにヘディングで、痛恨の逆転ゴールを決められてしまいました。一瞬の落胆。しかし、ひときわ大きな声でニッポンコールが始まります。まだまだ、勝負はこれからだ。ここであきらめてなるものか。そのコールの中を呂比須と城が二人揃ってベンチに走ります。どよめくゴール裏。3トップか?誰を下げる。カズと北澤か。いや、カズとゴンだ。何と大胆にも2トップのFWを同時に入れ換えます。これでリズムが戻りました。イランのラインが下がり気味になります。イラン選手のボールに対する反応が遅くなってきたような気がします。行けるぞ。何度となく城に呂比須にセンタリングがあがります。そしてついに、日本左サイドからのハイボールを城が頭で上手く合わせて同点!ゴール裏は沸騰しました。よし、イランはもう足が止まっているぞ。もうイケイケです。この展開は多くのJリーグの試合を見てきた目にはまさに勝ちパターンです。がんばれニッポン。ゴール裏のフィールドではサブのメンバーが全員アップを始めます。しかし、幾度となく訪れる決定機にもなかなかゴールを割れません。ホイッスルが吹かれ、スタンド中がため息に包まれます。前後半が終了してついに延長に突入です。

 延長戦開始前の短い休息の時間。アップするサブのメンバーから岡野が呼ばれました!ついに、ついに、我らの岡野が最終予選で初めてフィールドに立ちます。ハーフライン脇で北澤とのメンバー交代を済ませると、休憩する両チームの輪の間を、センターサークルに向かってダッシュする岡野。本人はもちろん、世界のレッズサポーターが待ちわびた瞬間です。さぁ、自慢の快足で疲れ果てたイランDF陣をばっさりと切り裂いてくれ。延長が始まりました。日本の攻勢は続きます。中田のスルーパスから幾度となくゴールを狙う岡野と城。岡野には1対1のビッグチャンスもありました。でも決まらない。相手のキーパーの露骨な時間稼ぎに大ブーイングが起きます。
 サイドが替わった延長後半。またしても相手キーパーが倒れます。激突した城も立ち上がれない。ゴール裏からは、城彰二コール、そして、立て〜!闘え〜!という絶叫。そうです、もう闘うしかないのです。ふらふらになりながらもフィールドに戻る城。時計を見上げると早くも10分が経過。なんとか決めてくれ。PK戦だけはやめてくれ。もうサポートという言葉では語りきれない、それはまさに心からの祈りです。たったひとつのゴールを得るために、スタンド中が祈っています。おそらくTVの向こうでも日本中が祈っているでしょう。あ、危ない!ダエイのシュートはゴールのわずか右。一瞬の出来事に思わず腰がすとんと落ちてしまいました。そして、ついにやってきました、あの最後のシーン。実は反対側のサイドだったこともあって良く憶えていません。中田が中央でボールをキープ。その背番号8は確かに瞼に焼きついています。ドリブルでディフェンダーをすり抜けシュート!

 次の瞬間、ゴールネットが揺れました。私の目は主審の姿を探します。いました。センターサークルを目指して走ってきます。やった〜!勝ったぁ〜!勝ったんです。その瞬間、涙が止めどなく溢れてきます。みんなが夢に見た、ワールドカップ出場権獲得の瞬間です。ゴール裏では、誰彼となく抱き合っています。何か叫びたいのですが、言葉が出てきません。仲間のもとに駆け寄ると、Sさんがフェンスに登って、Mくんのレプリカを両手で掲げ、M見えるか〜!と叫んでいます。Mくんは、前日、このジョホールバルに来るために、東京から名古屋空港へ向かう途中の自動車事故でこの世を去りました。26歳の若さでした。そのMくんのレプリカを握り締め、Sさんが叫んでいます。本当だったらこのスタンドで共に声を嗄らしていたであろう彼のことを思うと、また涙が溢れてきます。彼のためにも勝てて良かった。そしてその事故で怪我をしてこの地に来られなかった何人かの仲間たちのためにも、本当に勝てて良かった。心からそう思いました。ニッポンコールが始まります。おぉフランスの大合唱が始まります。みんな泣きながら唄っています。フィールドでは選手の輪がほどけ、ひとりふたりとウイニングランが始まります。カズ、中山、井原、岡野。ゴール裏のスタンドは興奮状態が続いています。私は帰りの飛行機の時間もあるので、後ろ髪を引かれる思いでスタンドを後にしました。

 

1997年11月17日月曜日 午前0時10分

 スタジアムを出てバスに戻ると、そこにはたくさんの笑顔がありました。三々五々、ツアーのメンバーが帰ってきます。その度にバスの中はハイタッチの嵐です。実はこの時初めて、最後に決めたのが岡野だったということを知りました。それまでは、岡野じゃないの、という声はあったものの、ゴール裏にいた私の目からは誰が決めたのかわからなかったのです。そうか、岡野かぁ。また、新たな喜びが湧いてきます。歴史に残るゴールを決めたのが岡野であったことで、正直な話、レッズサポーターのひとりとして安堵を憶えました。だってあれだけのチャンスを貰っていながら、それまで決められなかったのですから。
 20分ほどで全員が戻りバスは空港に向かって帰路につきます。スタジアムから出る道をゆっくり走っていると、歩いているサポーター達がバスに向かってフラッグや手を振ってくれます。私達も手を振りガッツポーズで応えます。しばらく走ってマレーシアの出国、そしてシンガポールへの入国。混雑することもなくすんなりと通過し、バスは深夜のシンガポール市内をひた走ります。やがて空港に到着。ガイドさんとは出国カウンター前でお別れです。ありがとうの気持ちを込めて、固い握手をかわしました。チャンギ空港はハブ空港ですから24時間活動しています。とはいうものの深夜は発着便も少なく閑散としています。出国審査を済ませ、かろうじて開いている免税店で家族や会社へのみやげを買い、喫煙所でタバコをくゆらせていると、まもなく搭乗の時間です。

1997年11月17日月曜日 午前3時30分

 帰りのANA臨時便が深夜の空港を飛び立ちます。たった12時間前に来たばかりなのに、もう帰るなんてちょっと残念です。でも、この喜びと疲労の入り交じった何とも言えない充実感は、他のツアーでは味わえないものでしょう。さすがの強行軍に着席早々眠ってしまう人も多いようです。離陸してすぐ機内食が出されました。気がつくと凄くお腹が空いています。それはそうでしょう。前に機内食を食べてからは、スタジアムでアヤしい弁当を食べただけなんですから。まずビールを一気に飲み干し、食事を一気に平らげます。そして、フランスといえば赤ワインです。実は凄く疲れていて眠いのですが、それでも眠りたくない夜ってあるじゃないですか。眠ってしまうのが惜しい夜。今がまさにそんな感じです。ひとりでワインを掲げ、乾杯します。ワインの赤、機内の内装の白、そして、前の席に座るサポーターのTシャツのブルー。おぉ、こんなところにもトリコロールです。くいっとグラスを傾け静かに目をつぶると、あの感動が脳裏に蘇ってきてまた涙ぐんでしまいました。その後、機内では、フランス行往復航空券やら公認サッカーボールやらが当たる大抽選会。しかし、私に当たったのは子供が乗るとプレゼントしてくれるおもちゃセット。まぁいいか。そんなに幸運は続かないもんです。
 眠りたくないとはいえ、さすがに映画の上映が始まる頃には酔いも手伝ってうとうと、そして、ぐっすり。機内の明かりがつくとまもなく関空到着のアナウンスです。

1997年11月17日月曜日 午前11時

 無事に関空に帰ってきました。東京に戻る私は、ここから伊丹に移動して羽田行に乗り継ぎです。完全に試合を見られるようにとのANAの配慮で、当初の予定から帰国便の出発が2時間遅らされたことが、ここになって響いてきます。乗り継ぎの時間が迫っているのです。地上係員に急かされて、スポーツ新聞を買う間もなくリムジンバスに飛び乗ります。バスの中でまた爆睡してしまいました。目が覚めると伊丹空港です。高速が空いていたのか、思ったよりやや早く着きました。売店を巡ってスポーツ新聞を探します。なかなか見つかりません。やっと1紙見つけました。それを手に羽田行に搭乗。機内にあった新聞もごそっと手にとり、席についてむさぼり読みます。あんな時間に試合が終わったにしては充実した内容です。岡野Vゴールの大見出しが躍っています。凄い凄い。日本中がこの試合を見ていたんですね。改めて感動がこみ上げてきます。そうこうしている間に、もう羽田に到着です。

1997年11月17日午後2時

 短い短い、でも素晴らしく充実した旅が終わりました。

 

最後に

 この最終予選を通じて、とてもとてもたくさんの人と出会いました。名前を挙げているときりがないのですが、みんな、本当にありがとう。最後に笑顔で終われて良かったね。いや、終わりじゃない。ここから始まるんだ。今日から日本のサッカーの新しい時代が始まるんだ。私達が幸せだったのは、その歴史的な瞬間に立ち会えたこと・・・・。
 そして、M・・・前田くん。出会ってたったの一カ月で、もう二度と会えなくなってしまうなんて。サッカーの神様はなんとむごいのだろう。でも、この勝利を君に捧げられて良かった。君の人なつこい笑顔は忘れらない。これから君の分まで、代表をそしてレッズを応援していこう。ありがとう。

PHOTO by Makoto Ogawa & Takeshi Yokosawa


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