稽古に関する私の経験と私見を述べます。

1.素人のお稽古
2.玄人の稽古
3.囃子の稽古



1.素人のお稽古

 素人の稽古は、普段の稽古と会(発表会)の出し物の練習があるかと思います。
 普段の謡の稽古は、先生と1対1で(カルチャーセンターでは合同練習、先生1対生徒全員が多いようです)先生が謡った謡の一句または一節をおうむ返しに弟子が謡っていきます。弟子が間違えたり、特殊な節回しの個所や謡い方がその部分固有の個所は繰り返し練習したりします。基本的に口で伝える(つまり口伝)のですが、時には絵で示してくれるときもあります(音の上げ下げなど)。弟子は謡本を広げて見ながらの稽古です。先生は、自分の前に謡本を広げることはありませんが、実際全部記憶しているのかどうかはわかりません。たまには目の前の弟子の謡本に目をやっているのかもしれません。こういう風に30分稽古したとしても先生と弟子が半分の時間づつ謡いますから実質15分間の謡分しか稽古は進みません。謡一番が短いので30分、長いので1時間以上ですから、2〜4,5回の稽古で一番が上がるということになります。普段の稽古は比較的淡々と進み、後は家での自習というか自己研鑚に任されます。もちろん稽古前の予習も欠かせません。
 仕舞の稽古は、仕舞の型付け(謡の文句にどの部分でどういう動作をするかを記した本)である程度予習していって先生の謡に合わせて舞います。初めてのときには先生と一緒に先生の後をついて道順、動作を覚えることになります。仕舞も一通りできたら上がりです。普通は数回の稽古だと思います。
 普段の稽古で熱心な弟子というのは、自宅での自習はもちろんのこと稽古場でも他の人が稽古するのを聞いていたりします。
 後、謡にしろ仕舞にしろ稽古順というのがあります。宝生流では平物、入門、初伝、中伝、奥伝という風に進んでいきます。習い始めは平物や入門の謡を習うのが普通で、いきなり奥伝の隅田川は教えてくれないと思います。
 次に、会(発表会)に向けての稽古ですが、先生と相談して出し物を決めます。人によっては会の半年前くらいからその出し物の稽古に入り、会の直前まで続けることもあります。仕舞を習っていれば、出し物は仕舞か舞囃子になることが多いようです。仕舞は普段の稽古で習った物を出すことになるのでしょう。舞囃子は能の一部を舞うのですが仕舞より能により近い形で、囃子が入りかつ笛の伴奏での舞を舞うことになります。
 一般に、謡・仕舞を習っている人で笛やその他の囃子を習っている人は少なく、舞囃子で舞(中の舞とか男舞とか狭義の舞)を舞うのは結構大変なことのようです。(舞の中は謡がなく笛が謡の代わりとなります。)舞囃子は会の出し物としての稽古のみで普段の稽古ではやらないようです。(舞囃子一番で20分から30分はかかるのも普段の稽古でやらない理由の一つでしょう。)
 会の出し物として能が出ることもあります。素人が能を舞うとなればそれこそ半年はその稽古に打ち込むことになるでしょう。能の稽古といっても仕舞の稽古、舞囃子の稽古の延長と考えてよいでしょう。橋掛りから舞台に入る部分、舞台での動作、舞等を能の型付けにしたがって順に習っていきます。シテを舞う場合はシテの部分だけを先生から習います。
 能や舞囃子を会で出すときは、会の前日かそれより前に申し合わせがあります。申し合わせというのはリハーサルのことで能や舞囃子を番組の出演者で最初から最後まで一番舞います。申し合わせというのは演出の最終確認という意味合いだと考えています。つまり、舞台に登場する音楽や舞の段数(長さ)の確認、演出上の注意点(省略するところ)の確認等です。(素人が舞う場合は常の通り(一番一般的な演出)が多いようです。)
 能の舞台の特徴の一つは、演出家や指揮者がいないことだといわれています。それでも能の舞台が成り立つのは一つはシテ中心主義、シテの動作が能を支配すると考えられるからです。橋掛りを通って舞台に入る動作一つ取ってもシテ(あるいはワキ)が実際に舞台に入って所定の位置に来るまで、囃子方は登場の音楽を打っています。所定の位置に来たのを確認して登場の音楽の終了を知らせる手を例えば大鼓が打って他の囃子も終了します。これを見計らいといいますが、能には随所に見計らいの場面が出てきます。素人のシテでも囃子方が見計らってくれますので、舞以外の囃子の手は特に知らなくても支障はないようです。

2.玄人の稽古

 シテ方の職分(プロ)なるには、宗家の内弟子に入る必要があるようです。内弟子の稽古がどういうものかは、私にはわかりません。
 以前、TVで能”道成寺”を披(ひら)くシテ方のことを放映した番組がありました。道成寺という能は舞台にハリボテの鐘が持ち込まれ、シテが落ちてくる鐘の中に飛び入る鐘入りがあるという非常に派手な能です。鐘の中に飛び込んだシテは鐘の中にあらかじめ準備しておいた面や衣装に着替え、鐘が上がった後の演技に備えます。普通の能では中入りで舞台を下がってあるいは作りものの中で、後見に手伝ってもらう面や衣装の付け替えを鐘の中で一人で行うわけです。この一人でできるというのが重要なようで、能”道成寺”を演じることは一人前のシテ方と認められた証ということになります。”披く”というのは、演じるのを許される初演のときをいいます。
 TVの方は、観世流宗家に内弟子に入り、職分として修行してきた若手シテ方が道成寺を披くまでのドキュメントでした。その中で宗家の前での稽古の場面がありました。その若手と宗家の一対一の稽古です。稽古といっても途中で謡や型を直すということは一切なく、ひと通り終わってから女性の情念が足りないとか表現上の批評、注意を与えていました。ただどうしなさいとかすればいいとかはなく自分で考えなさいというようなことだったと思います。
 このようなことから推測するに、玄人の稽古は、当然のことながら謡、型はできあがっていていかに表現するか、曲の解釈は、という面に重点が置かれるものと思います。
 職分の普段の稽古については、喜多流職分のWeb Page(粟谷能の会 http://awaya-noh.com/)にその一端がうかがえます。

3.囃子の稽古

 素人で囃子を習っている人は、謡人口に比べればかなり少ないはずです。
 そもそも囃子方のプロそのものの人数が、シテ方に比べれば圧倒的に少ないはずです。
 東京に在住の笛方には、一噌流と森田流があります。私が習っている一噌流に限ってみると4つの家で10人くらいのものでしょう。(これでも随分増えたのではないでしょうか。それぞれの家の親子で息子が成長して笛方になって増えました。)
 囃子の稽古というのは、謡の稽古とかなり趣を異にしています。
 謡と同様先生と一対一の稽古なのですが、謡が謡本を広げて本を見ながら習うのに対し、囃子の稽古は、自分が打つ手や吹く譜を記憶して先生の前に座ります。囃子の稽古は予習なしでは成り立ちませんね。
 何を記憶していくかというと、小鼓、大鼓、太鼓ではそれぞれの手組みを覚えていきます。能のリズムは八拍が基本となります。八拍(あるいはその倍数、16,24)の中に打つ部分と掛け声から成る一つの手が作られています。いくつかの手を組み合わせて演奏していきます。初学のうちは、八割りといって一行に八本の横線を引いた中にツブ(打つところ)と掛け声が記入してあるものを使って覚えていきます。中級になれば、謡本に手を書き込んで覚えていきます。(謡本に手を書き込んだのは大鼓だけでした。太鼓は手組集が出ています。小鼓は手組集がかなり整備されていたと思います。)
 小鼓、大鼓、太鼓の稽古は、先生が謡う謡いに合わせて弟子が演奏していきます。ちなみに、小鼓と太鼓の稽古では実際の楽器を打ちますが、大鼓は左手を腰のあたりに構えて大鼓に見立てて打つか、自分の前に置いた拍子盤を拍子扇で打つかで実際の楽器は打ちません。先生は謡を謡いながら拍子盤を打ち、弟子の演奏に付けてくれます。このことを大鼓の稽古を例にとって説明すると、先生は、謡例えば羽衣のクセを謡いそれに合わせて弟子が大鼓を演奏します。先生は同時小鼓の手(手組み)を左手の拍子扇を使って拍子盤で打っています。弟子が間違えたりすると右手の拍子扇で大鼓の手を打ち修正してくれます。小鼓の稽古では、弟子が小鼓を打ち、先生が大鼓の手を付けることになります。太鼓が入る部分では、小鼓、大鼓の稽古とも先生は太鼓の手を打つことが多いようです。舞の部分では先生は謡の代わりに笛の唱歌を唱えます。太鼓の稽古では、先生は小鼓と大鼓の手を付けていたような気がします。
 囃子の稽古は、一通りさらうとできが悪くても次に進むようです。
 私は、大鼓と太鼓の稽古をしていたことがありますが、どちらも舞囃子までしか進みませんでした。従って、それらの能を打つための稽古というのはどういうふうなのかはわかりません。笛はずっと稽古を続けてきたので、現在は能一番の笛を稽古しています。それでは笛の稽古はどういうふうにするのか説明します。
 笛の稽古というのは、舞の稽古とそれが終わった後の能の笛の稽古しかないようです。実際には、会(発表会)に出す舞囃子の稽古が入りますが、それは能の笛の一部と考えることもできます。(会に向けての稽古は、かなりの期間集中的に行なうのは素人の稽古の常です。)
 舞の稽古は中の舞、男舞に始まり、乱、獅子まで続きますが、その稽古方法はほぼ同じです。まず笛の唱歌(しょうが)を先生とともに唱えて覚えます。笛のリズムも八拍ですから唱歌も八割りに割り振られています。唱歌は笛のリズムだけでなく、音の高さも表現しています。一噌流の場合、唱歌集上下2巻が刊行されています。
 唱歌が一通りできたら、次は指です。唱歌を唱えながら先生が拍子扇を使って指の上げ下げを実演してくれ、弟子も一緒に唱歌を唱えながら自分の笛で指の上げ下げを行います。指が終われば実際に笛を吹いて音にして演奏します。初学のうちは笛を吹く時先生が唱歌を唱えながら吹いたと記憶しています。笛の稽古でも弟子が演奏する時は先生は拍子盤で大小あるいは太鼓の手を打っています。
 指は、指付け集というのが刊行されています。舞のほとんどと会釈(あしらい)のほとんどの笛の指が図解されています。舞については唱歌集下巻の盤渉楽、盤渉序の舞、乱、獅子は指付け集に載っていません。これらは先生から直接、指を習います。私の頃は先生の書いた指付けのコピーを頂きました。
 笛の習い始めには、笛の音の出し方を先生から教わります。口への笛の当て方と指の押え方を習います。吹くときの口の形も教わったような気がします。習い始めは、音は出ません。それでも先生の唱歌に合わせて吹きます。吹くというより息を出すといった方がいいかもしれません。
 能の楽器で素人が最も音の出しやすいのが太鼓(撥で打てば出ます)、最も出にくいのが笛でしょうか。(私の考えでは、素人と玄人で最も音(ね)に差があるのは小鼓だと思っていますが。)
 笛の稽古に戻ると、舞が獅子まで進めば、後は能の笛の稽古に入ります。
 能の笛というのは出の囃子、会釈、舞と実際の能で演奏される笛の部分をすべてをいいます。つまり、許されれば能一番を演奏することができるようになります。
 能の笛の実際の稽古は、能の笛の手付けが記してある先生の謡本(先生が昔習ったときに記したものと思います)から笛の手を自分の謡本に写すことから始まります。手付けといっても会釈を吹く個所を記したのがほとんどです。出の囃子(一声、次第、名乗、出端、早笛など)、舞は能の台本である謡本に元々書いてあります。
 出の囃子では、先生の大小あるいは太鼓のあしらいで笛を吹きます。同じ一声でも曲により登場人物により位(くらい、最も単純には曲の早さで表現できますが、その奥には重い、軽いと表現される気合いの込め方の違いがあります)が異なることを先生の付けてくれるあしらいにより学んでいきます。(能を見て感ずる位を自分が演奏しようと思うと、特に重い方で自分が思うよりさらに重い位を要求されることが多いです。)
 謡の部分の会釈の笛は、先生が謡う謡に合わせて吹いていきます。(笛の稽古の長さは舞を聞けばだいたいわかります。その人の笛の技量は会釈を聞けばわかります。)
 舞も曲により位があり、稽古でもそれに則って吹きます。一例として大小序の舞に関しては、私が習った内では、東北、半蔀は普通の序の舞の位、井筒、江口はしっとりとした序の舞となりしっかり目に吹きます。
 能の笛の稽古とはいっても、能そのものを伝えるための稽古といってもいいでしょう。能の舞台には演出家、指揮者がいないと前にも言いました。それはシテ中心主義であることで、シテの動作が能を支配していくという風に考えていもよいと言いました。しかし、それを支えているのは、こうした囃子方の稽古において見られるような能の位に対する囃子方の見識であると言ってもよいかもしれません。

 長々と自説を書かせてもらいました。能の舞台は玄人の世界、素人はここまでしかできないよというような意味合いになってしまったかもしれません。素人が能を考える際の参考になればと思います。

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