能「忠度」

2010年3月14日 矢来能楽堂

 日曜日、矢来能楽堂へ出かけた。
 当日見た能は「忠度」と「胡蝶」。
 「忠度」は3月の東京で3つの舞台で演じられている。今日観てその人気の理由が少しわかったように思う。

 忠度とは、平清盛の弟、薩摩守 平忠度のこと。歌人としても優れており、勅撰和歌集の千載集の選に一首入っている。忠度の最期は、一ノ谷の戦いにおいて武蔵の国の住人岡部六弥太忠澄に討たれている。

 能「忠度」においては、歌を嗜む公達としての忠度に注目し、戦に敗れ討たれたためではなく、千載集に詠み人知らずとされたことを恨みの第一としてこの世に漂っているという雅の様を表しているのである。
 そのことがはっきりわかるのが、六弥太に討たれる場面の展開。
 ”六弥太太刀を抜き持ち遂に御首を打ち落とす”に続くシテ謡”六弥太心に思うよう”以下は忠度ではなく六弥太側からの描写になっている。シテが謡うが実は六弥太が舞台で語り舞っているのである。こういう展開がはっきりわかる能は少ない。観ていて、「ああ忠度は死んだ。でも戦場において歌を詠む雅の人間だ。」と。
 自ら認めた短冊を六弥太が見つけ詠じる場面、シテは笛の演奏で舞台を少し回る(立ち廻り)。この場面に、能「忠度」の雅を一番感じることが出来る。舞台上には出ていない六弥太が詠じ、忠度の霊が舞う。
 能は、急転自らの回向を頼む忠度の言葉で余韻を残しながら終わりを迎えるのである。

 一言で言うとわかりやすい能である。それが人気の理由であるように感じる。

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