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カセ鳥の歴史
History of "Kase-Dori"

上山町史・上山郷土史

  資料編第12集 <P.250〜P.251>
  1975年(昭和50年)8月23日  上山市史編纂委員会
二〇、かせ鳥    かせ鳥……何といふなつかしい名であ
らう。かせは正月十五日……その正月の十五日がまちど
ほしく……いつ「かせ」がくるの……いくつねるとお正
月がくるの……と、母親にしがみついてゐた。夢のやう
な淡い影が、今でも眼前にちらつくのである。このなつ
かしい「かせ鳥」も、文化の風に吹き飛ばされて、今は
いづこの空にさまようて居るのであらうか。…かせ鳥…
汝はいつごろ……どこから始めて姿をこの地に現はした
のであらうか。むかしの人も汝の出所をたしかむ可く苦
心したのであるが、今尚不明になってゐる。この浪人者
も舊藩時代には、御前「かせ」と唱へ毎年正月十三日、
藩邸に伺候すると、御殿では豫め手桶と柄杓を新調しお
き、「かせ鳥」の姿を見るや否や、頭より水を浴びせか
け、それから御酒を下され、其の上に青指と唱へ銭一貫
文下さるのが常例となってゐた。これは高野村から来る
「かせ鳥」にかぎり、かうした恩典にあづかるのであっ
た。舊正月十五日といへば、何しろ極寒の節である。そ
の極寒の季節に、膚に襦袢一枚位つけて、其の上に、わ
らでこもの如くあんだものを頭から着かむり、異様な聲
を張りあげながら戸毎をまはり、其の都度水責をくうの
であるから、頑丈な体格の持主でないと、つとまらん藝
當である。其のわらでつくったものを、けんだいと唱へ
たのである。

「かせ鳥」が人家に立ちよると、頭の真中に一本角のや
うに立ってゐる處に、新しい手拭をまきつけてやったり、
祝儀として若干の包金などをやるのが例であった。維新
後一旦すたれたのであるが、防火の吉例であるとして再
興し、再びこの地に舞ひもどって来たのであるが、明治
廿九年に又々御處拂ひをくらひ、とこしへに姿をこの地
より没したのである。藩儒五十嵐于拙翁は、「かせ鳥」
について有益な研究を発表してゐる。

  かせの事文字詳かならず、かせの着るものを「けん
だい」と唱へて童などの夫をくれよとて抜きて髪に結
びかけぬれば、髪多くなるといへり。呉竹集に曰く、
「あを」といふは「けんだい」の事にして、賤しき人
は蓑のやうにして着るものなり。歌に、

    時雨する稲荷の山の紅葉ばのあをかりしより思ひ
    そめてき

  この歌は、和泉式部稲荷社に詣でけに、田中の稲
荷明神の前にて時雨しけるに、草刈童の「あを」とい
ふものを借りうけ、打ちかつぎて詣でける後に彼の童
和泉式部の許に此歌をよみて参らせしとなん。必此里
の「けんだい」もこの類なるべし云々。(上山見聞記)






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